マトリョーシカとリュミエール兄弟
好評発売中の「姫だるま〜マトリョーシカTシャツ」の写真、以前公開したものと同じものですが、こんどは古いサイレント映画のようなスライドショーにしてみました。
↓こちらでご覧ください。
「マトリョーシカ〜姫だるまTシャツ」スライドショー
この作品をTシャツにデザインするにあたっては、発売元・日本Tシャツ「昭和元禄」の内野君とのコラボレーションであれこれ楽しく練り上げたのですが、イラスト部分をフィルムのような縁取りで囲ってみたのはちょっと気の利いたアイディアだったと思ってます。
マトリョーシカといえばロシア、そしてロシアの古い映画と言えば、ソビエト政権下で制作されたエイゼンシュテイン「戦艦ポチョムキン」などの社会主義リアリズム作品も有名ですが、なんと言ってもトーマス・エジソンと並び称される「映画の父」、フランスのリュミエール兄弟によって始まったことを抜きに語ることはできません。
遠いロシアの、黎明期の映画という新しい芸術メディアへのときめきを、100年後の日本から振り返ってみたときの、ノスタルジアとないまぜになった不思議なパースペクティヴ。
そんな雰囲気もちょっとだけ「マトリョーシカ〜姫だるまTシャツ」の中に、に入れ子のようにこめてみたかったのです。
さて、リュミエール兄弟がパリで見たエジソンのキネトスコープに刺激を受けてシネマトグラフ・リュミエールを開発したのが1894年、同じくパリのグラン・カフェ地階サロン・ナンディアンで人々に映像を有料公開した1895年12月28日が映画生誕の日。そして翌1896年5月にモスクワとサンクトペテルブルグで上映されたのがロシア帝国における映画史の始まり、同月撮影されたニコライ2世の戴冠式の映像がロシア帝国最初の映画とされています。
ここで気づいてしまったことがひとつ。
それはまたしても、日本文化の影響のもとにマトリョーシカ人形が誕生したのと同じ、19世紀末の出来事だったのです。
(*マトリョーシカが第5回パリ万国博覧会に出品され銅メダルを受賞して注目されたのは、1900年のことでした。リュミエール社は「トロカデロから見た万国博覧会」という作品を残しています。)
まもなく、兄弟はリュミエール協会を作って世界中にカメラマンを派遣し、日本でも明治の文化・風俗の貴重なドキュメンタリー映像を残したそうですが、ここにも姫だるまをルーツとするマトリョーシカとシンクロした文化交流がありました。
その時代の貪欲なまでの文化のミクスチャーへの希求力の焦点に極東の島国、ぼくらの父祖の国・明治の日本と、やがて宿命の戦場で雌雄を決することになるロシア帝国とがあったということに、あらためて興味をそそられずにはいられません。
"マトリョーシカと姫だるま"
posted by 稲村光男抒情画工房