日露戦争と姫だるま〜マトリョーシカ
愛媛県松山市を拠点にNPOを組織してまちづくり活動に取り組んでおられるという方から、次のようなメールをいただきました。
足元の宝を磨きながら全国に発信することで地域を活性化しようと日々活動していますが、たまたま姫だるまのことを調べていてマトリョーシカと姫だるまのサイトに辿り着きました。
ロシアと松山はご存知の通り、縁深い土地柄でありますが、まさか姫だるまとマトリョーシカに関わりがあるだなんて思ってもみませんでした。素敵な話ですよね。
ただ昨今においては、当地でも、姫だるまの存在は・・・。残念ながら若い世代はその存在すら認識していないかも知れません。
「姫だるま〜マトリョーシカTシャツ」を身に着けさせてもらい、これをきっかけに今一度、松山でも姫だるまに光を当ててみようと思います。
姫だるまのふるさと愛媛・松山については特別の関心を持っていたので、地元の方からこのようなおたよりをいただいて、とてもうれしく思いました。
おたよりにあるロシアと松山市のご縁は、日露戦争当時、日本で初めてロシア兵捕虜収容所が設けられたことからはじまり、100年を経たいまでも異国の地で生涯を終えたロシアの人々を埋葬した墓地は手厚くおまつりされているとのことです。
戦争と捕虜収容所…、と聞いただけで暗く悲惨なイメージを持ってしまう方もいるかもしれませんが、当時約3万人に過ぎなかった松山市民の方々は、多いときには4,000人を超えたといわれるロシア兵捕虜の人々をお遍路さんをもてなすように迎え入れ、その記憶から以後ロシア兵たちは投降してくる際に「マツヤマ」を合い言葉にしたと言われるほど、たくさんのいい話が残っているのです。
その当時のようすを、イギリス人写真家ハーバート・G・ポンティングは次のように描写しています。
プラットホームに立っていると、そこにロシア軍の捕虜を満載した列車が到着した。乗っていた捕虜の全員が戦争から開放された喜びで、大声で叫んだり歌を歌ったりしていた。・・・反対の方向から別の列車が入って来た。それは日本の兵士を満載した列車で、兵士達は前線に行く喜びで同じように歌を歌っていた。
ロシア兵と日本兵はお互いの姿を見るや否や、どの窓からも五、六人が頭を突き出して、皆で歓呼の声を上げた。ロシア兵も日本兵と同じように懸命に万歳を叫んだ。列車が止まると日本兵は列車から飛び出して、不運?な捕虜のところへ駆け寄り、煙草や持っていたあらゆる食物を惜しみなく分かち与えた。一方ロシア兵は親切な敵兵の手を固く握り締め、その頬にキスしようとする者さえいた。私が今日まで目撃した中でも、最も人間味溢れた感動的な場面であった。
(中略)松山で、ロシア兵(捕虜)たちは優しい日本の看護婦に限りない賞賛を捧げた。寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作の一つ一つを目で追うその様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。
何人かの勇士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである。ロシア兵が先頃の戦争で経験したように、過去のすべての歴史において、敵と戦った兵士がこれほど親切で寛大な敵に巡り合ったことは一度もなかったであろう。それと同時に、どこの国の婦人でも、日本の婦人ほど気高く優しい役割を演じたことはなかったのではあるまいか。
このとき松山捕虜収容所のロシア兵が愛媛県の郷土玩具の一つである姫だるまをまねて作ったものがマトリョーシカ人形の起源であるという説は、日露戦争よりも前の1900年パリ万博に出品されたマトリョーシカが銅メダルを受賞している事実と矛盾するとして否定されてしまっています。
けれど、日本の入れ子人形をルーツとして生まれたばかりのマトリョーシカに、「可愛らしい守護天使」と写った松山の看護婦さんたちと、その地で愛されていた姫だるまのイメージが「日本」の印象として投影されるようになった、ということならば十分あり得るおはなしだと思うのです。
起源説としては年代的に矛盾がありながら、マトリョーシカのふるさととしての日本を思うとき、箱根の入れ子細工や七福神のこけし人形よりもむしろ愛媛の姫だるまと絵的にかわいらしいイメージが共通しているように見えるのは、そんな背景があったからではないでしょうか?
いつの間にか姫だるまの存在が忘れられつつあるのと同じく、戦争で敵味方に分かれながらも「最も人間味溢れた感動的な場面」をたくさん残したちょっと前の日本人の感受性がどこかへ消えていってしまいそうな気がして、とても残念です。
姫だるまとマトリョーシカのつながりを思い出すことで、もう一度そんな感覚を取り戻すことができたらいいな、と思います。
↓こちらでは、むかしの日本のきれいで貴重なカラー動画にのせてハーバート・G・ポンティングの回想もご覧いただけます。
ちなみに、この動画の冒頭にでてくるラダビノード・パール判事へのトリビュートTシャツが、「姫だるま〜マトリョーシカTシャツ」に続く2作目のコラボレーション作品として日本Tシャツ・ブランド「昭和元禄」より発売になりました。
「パール判事の日本無罪論」は、ちょっと前の日本人のことを思うすべての人にまず読んでみてほしい大切な一冊ですので、ぜひ一度読んでみてください。
リメンバー・パール判事 - remember justice radhabinod Pal -
"マトリョーシカと姫だるま"
posted by 稲村光男抒情画工房