マトリョーシカとイースターエッグ

イースターラビット




日本の姫だるまやこけし七福神などの入れ子細工をルーツとして生まれたと言われるマトリョーシカ人形ですが、ロシアで最初に制作したのはモスクワ郊外に住む、S.I.マーモントフ夫人と画家S.V.マリューチンとザゴルスクのろくろ師V.ズビョズドチキンだったという説があります。

S.V.マリューチンというひとは画家としてもともと活躍していて、V.ズビョズドチキンと入れ子の形状の木製イースターエッグなどを作っていたそうです。

スラブ諸国の民間伝承では新しい生命のシンボルとして根強く愛されてきたイースターエッグ

特にマトリョーシカが誕生した19世紀末から20世紀の初めにかけては、ロマノフ朝帝政末期の宮廷にも豪華絢爛な宝飾が施されたインペリアル・イースター・エッグが作製・献上され、イースター・エッグ文化のピークでもあったことが偲ばれます。

こうして古くからロシアで親しまれてきた復活祭の卵の造形を素地として、日本の姫だるまのイメージ、入れ子細工の人形という発想がコラボレーションして産み落とされたのがマトリョーシカだったのかもしれません。



卵を持つ春のうさぎ by 葉子の万年少女人形館


ぼくは、わが国でクリスマスの行事が外来宗教の降誕祭という意味合いを越えて広く行われている理由を、その下地に冬至に祖霊を迎え祀るる固有信仰があったからだと信じています。

薬箱手帖 「クリスマス・ツリーと雪の結晶のブローチ」

それと同じように、イースターの行事もまた必ずしも耶蘇教の復活祭という意味合いではなく、あるいはユダヤ教過越の祭りよりも古くからの春の祭りで、豊穣のしるしとして卵を飾る習わしも多神教とアミニズムが普遍的だった時代から伝えられてきた習俗だったと思われます。

そういえば、「イースター」という英語の呼称もゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているそうです。

ローマ時代、東方からの民族の大移動にともなってさまざまな文化が混交してできあがった春の祭り。

もうひとつ、ぼくは以前、折口信夫博士の「容れ物のなかにたましいが宿る」という信仰についての考察から、マトリョーシカのイメージの遥かな祖型の誕生を探ってみたことがありました。

薬箱手帖 「紀元節 折口信夫 マトリョーシカ」

折口信夫はその「霊魂の話」という論文で、「石こづみの風習」というものが刑罰ではなく復活の儀式であった時代があったことを断定しています。つまり、「石」を容れ物としてたましいが復活するという信仰、ただし現実に石の中に入ることは出来ないので石を積んだ、ということ。

そしてそういった信仰について、「朝鮮には、卵から生れた英雄の話がたくさんある。日本と朝鮮とは、一部分共通して居る点がある。」という点から、北方由来のシャーマニズムとの関連性をも示唆しています。

復活の儀式とたましいの容れ物。卵生の神話。半島経由でのユーラシア大陸北方との文化のつながり。

もしかすると、大陸を大移動したスラブ民族と、極東の島国に固有信仰を保ち続けた日本民族と、遥かな古代にどこかで同じルーツを持っていたのかもしれません。

それが時を越えて、かわいいマトリョーシカ人形のかたちで復活したのだとしたら?

あまりにもとりとめのない想像かもしれませんが、そんなふうに想うと、この異国の人形たちがもっと懐かしいもののような気がしてしまうのです。






"マトリョーシカと姫だるま"
posted by 稲村光男抒情画工房